「グローバル化で日本文化が消える」は間違い!!
外国人労働者が日本に増えていることが昨今では社会問題とされているようです。
「外国人が増えることに反対」と考える人の多くに、日本の文化が薄れる、失われるのではないかと漠然と思っている方がいるようです。
とくに、日本は世界で一番いい国だと考えている中高年層に多い印象を持っています。
もちろん、ぼくは日本はいい国だとは思いますが、そもそも国を比較すること自体に意味があるとは思っていないので、悪しからず。
さて、日本の文化は、外国人の流入で消えてしまうのかという話です。
まず、日本文化という概念は消えることはありません。
例えば、平安時代の貴族が歌をつくって遊んでいたり、蹴鞠をして遊ぶといった、当時の日本文化があります。これをブラックコーヒーと考えましょう。
すると今の日本文化は完全にカフェオレです。
日本文化が失われる、変わってしまうと考えている方は、脈々と変化しながら残ってきたこの文化が、今この時点で急に変化を止めてその状態を保てると思っているのでしょうか?
「日本文化」は失われてはいませんが、変化していくものです。
今さらそれがコーヒー牛乳になろうとキャラメルマキアートになろうと、それが当代の日本文化として成立してしまうので、「文化が消える」という考えは、ぼくはそれは違うのでは?と思うわけです。
日本に外国人が増えてきたとして、現在残っている日本の美しい文化は消えるのでしょうか。
例えば、50年後に清水寺が一部損壊したとして、それを治そうとしない日本を想像できますか?
歌舞伎、落語、舞妓、時代が変わってもこれらの日本文化は江戸時代などから比べれば、幾分小さくはなっても、今も続いています。
将棋の世界に関しては、現在では外国人女流棋士なんて方もいるようです。
ただ、中には完全に消えてしまった文化はあると思います。
勘違いしないでいただきたいのは、消えた文化は時の流れによって、人が集まらなくなった文化です。
誰も見向きしないものは廃れない訳がありません。
廃れる原因は、時代が変化しているのにも関わらず、自らがそれに合わせて変化することを拒んだからでしょう。
上記の落語も将棋も、ラジオが普及するとラジオで、テレビが普及するとテレビで、インターネットが普及するとインターネットでもコンテンツを作って、形を変えることで今でも人気がある文化になっているんだと思います。
変化を拒むのではなく、良い変化を続けて、淘汰されない形に変えていくことが、大切なのではないでしょうか。